南方大分裂

元帥の死亡後、中央遠征軍と地方軍閥の間で発生した南方軍団の内戦。
中央遠征軍→戦争仲裁委員会→三頭同盟
地方軍閥→臨時議会→南大陸連合
 
….初めの数ヵ月は双方とも沈黙を保っていた。遠征軍本部は第一軍団のエリア内のあちこちで起こる騒乱への対処で疲弊しているようだった。地方軍閥側は様々な理由をつけ供給量を次第に減らし、本部側の反応を探っていた。しかし地方軍閥はそれぞれが固く団結しているわけではなく、宗教や価値観もそれぞれ異なっていた。そんな中、まず行動を起こしたのは国の再建を狙う者たちだった。そして大規模な破壊と混乱に陥った。そのひと月後、南方軍団の勢力圏に7つの反乱勢力が生まれ、2か月後にはその数字は21に、3か月後には49にまで増えた。しかしそこからついに中央遠征軍が練りに練った計画を実施し反攻に撃って出た。 どの戦線も急を告げ、毎日のように滅亡や降伏する部隊が出た。工業拠点は破壊され重要な交通施設は占領され、空に浮かぶステーションは撃墜された。敵は湖を蒸発させ山脈を貫くなどして止めることは困難だった。中央軍から改組された戦争仲裁委員会は、すさまじい攻勢を見せた。委員会の、後日三大巨頭と呼ばれるようになった3人の委員は、軍神直属の親衛隊の名に恥じぬ勇猛ぶりを見せ、3か月という短い間に各戦線で猛烈な反撃を展開した。 しかし南方の軍閥によって構成された臨時議会側も無策ではなかった。彼らは戦争仲裁委員会の最大の弱点が後方にあり、猛者ぞろいの委員会に完全に安全と言える場所がない事を見抜いていたのだ。元々、第一軍団があった場所では不屈と謳われるリーダーが抵抗を続けていて、ゲリラ部隊もあちこちに出没していた。そこで彼らはしばらくの間持ちこたえることができさえすれば……委員会の内部で意見が割れると考えた。 …そして南方臨時議会の意思決定機関を南極に移すかどうか議論する会議の前日、ついに戦争仲裁委員会は初めて重大な失敗を犯すこととなった。戦艦のオリンピアとマケドニアが聖痕騎士に撃墜されたのだ。それにより戦況は次第に地方軍閥側が有利な方へと傾いていった。臨時議会は従来から十分な数の人材と安全な支配地、それに健全な経済を有していたが、軍神の側近は無敵という神話を崩したことで更に影響力を拡大することに成功した。そして戦争仲裁委員会の数倍もの軍事力を迅速に作り上げ、後方への対応で疲弊した敵に対し反撃を開始した。そして臨時議会側が勝利を手にするかと思われたが結局その予想が実現することはなかった。なぜならその時になり、地獄から舞い戻った精鋭部隊が臨時議会の後方に出現したからだ。
軍団歴43年に、啓蒙師団は死域を脱して臨時議会が実行支配する地に突如姿を現した。そのとき啓蒙師団の規模は既に1万人を切ってはいたが、軍閥側の守備の脆弱な後方ということもあり、地獄から舞い戻った彼らを止められる者など誰もいなかった。——地獄から舞い戻った彼らの目標は南方全体を貫くように突破し、第一軍団のもとに帰還することにあった。 結果として、啓蒙師団南方軍団の大規模な内戦において、大きな影響力を誇る存在となった。大死域から這い出してきた彼らは人類社会から長期間隔離されたことで、もはや以前のような単純な思想主義や青臭さなどはなく誰もが認める強者ぞろいとなっていた。臨時議会の後方が崩壊したことで、その後、情勢が動くこととなった。臨時議会は戦争仲裁委員会側と同様に、自分たちも多くの問題を抱えており、不利な戦況によって内輪もめも起きるなど団結することができていないことを悟った――そしてこのまま事態が推移していくならば、南方軍団全体が再び中央軍のものとなってしまうのも時間の問題だという事実を認識させられたのだった。……しかしその後、あの理解不能な「春暁事変」が発生することとなった。その年の春、戦争仲裁委員会によるあの大虐殺が発生したのだ。 戦争仲裁委員会による軍団歴43年春の血みどろの虐殺事件は、南方のすべての人々を驚かせた。人々の考えはふたつに大きく割れた。ひとつは、委員会による崩壊災害への対処方法を支持するというもの。もうひとつは、委員会のやり方は絶対に受け入れられるものではない、委員会にはもはや地球南部の人々を統治する資格などなく、それ以上に世界兵団の総司令官の資格などないとするものだ。結局、戦争仲裁委員会の勢いはそれにより失われ、啓蒙師団による中立割拠の宣言もあり、軍神の側近たちも戦争によって南方を統一する力はもはやないことを認めざるを得ない状況となった。一方、臨時議会の方では無血クーデターが起き、過激な反撃路線に終止符が打たれた。そして「南方人は自らの南方を手にすべき」との宣伝を展開するようになり、最終的に南大陸連合、通称連合軍が組織されることとなった。委員会、つまり元中央遠征軍側は引き続き自らを南方軍団と呼び続けてはいるものの「三頭同盟」の名もあることから、同盟軍とも呼ばれている。3年にわたって続いた南方の大規模な分裂は、こうして最終的に東西の対峙が継続した状況でひとまず落ち着くこととなった。